ローズポーク25年間の軌跡
   
 
東京都食肉生活衛生同業合東京都食肉事業協同組合
目黒支部
 
平成15年10月吉日
   
はじめに  
私たち目黒区の食肉専門店が「消費者対策事業」として茨城県産の良質な豚肉を共同に仕入れ、毎月1回(平成17年からは2回)、お求めやすい適正価格で区民の皆様に購入していただく産地直送販売を開始しましてから、本年で満25周年を迎える運びとなりました。ひとくちに25年といいましても、この間昭和が平成となり、20世紀が21世紀に移るとともに、時代の状況も大きく変化したことはご承知のとおりです。 この永きにわたって本事業継続をすることができましましたのは、 本事業が区民に真に益するものとして深いご理解と助成を続けてくださった区長、区議会議長をはじめとする諸先生ならびに産業経済課を中心とする目黒区行政、我々販売者とともに「安心・安全・美味」な豚肉の提供に最大の努力を重ねてくださった茨城県の生産者、県及びJA全農茨城県本部、同食肉センター、そして何よりも、本事業に対して常に変わらぬご支援を下さいました消費者のお力によるものです。皆々様のあたたかく厚いご支援とご協力に、心より感謝を申し上げます。この25周年を一つの契機としまして、これまでの軌跡を記録にとどめ、本事業の意義を再確認するとともに、さらに力強く継続拡充させていくために、この小冊子をまとめることになりました。
   
本事業の発足とその時代背景  
昭和50年代の前半。当時の状況を振り返りますと、わが国は40年代後半に起こったオイルショックからようやく立ち直りをみせ、いよいよ本格的な大型消費の時代に突入しようとしていました。私たちの生活の根幹をなす食品分野においてもこのような消費傾向は例外ではなく、それにつれて高級化志向と廉価性志向への二極分化が著しくなってきました。しかしその一方では、必ずしも実質を伴わない商品までも強引にブランド化しようとする販売手法や、廉価性を優先するあまり、いわゆる「廉かろう悪かろう」の商法に走った一部の業者も、無きにしもあらずの状況がみられました。行政が消費者を守るための重要課題として、食の信頼と安定供給を確保することを掲げ、このような風潮を是正されようとしたのは、適切であったと言えます。最大の消費地である東京では、多くの区市においてその対策が検討され、食肉・鮮魚・青果の生鮮三品を中心に、行政の指導と助成によって信頼のおける良質な食品を適正価格で提供するという機運が高まりました。このような時代の流れの中で、目黒区では、区議会での慎重な審議を進めていただきました結果、「消費者対策事業」が可決承認され、昭和54年度から具体的実施に向けて発足されることになりました。
   
食肉組合の組織と目黒支部  
話がやや遠回りになりますが、ここで私たち食肉専門店が組織する組合構成について少し説明させていただきます。現在、全国の食肉専門店の多くは、厚生労働省の指導に基づく全国食肉生活衛生同業組合連合会(全肉生連)と農林水産省のご指導に基づく全国食肉事業協同組合連合会(全肉連)という二団体のもとで、各都道府県に組織された組合に所属しています。したがって、目黒区の食肉専門店による組織は、東京都食肉生活衛生同業組合ならびに東京都食肉事業協同組合の目黒支部という位置づけとなっております。東京都食肉両組合に所属する約80の支部の多くは、戦中の統制経済の時代に警察署の管区に合わせて設置されており、戦後はこれとほぼ範囲を同じくする保健所の管区と地域をともにしてまいりました。そのため、一行政区の内に複数の支部が存在する状態で今日に至っており、各区で保健所の統合が進められている現在では、行政区と一致した支部統合が組合内で検討され始めています。目黒支部においては、早くから一区一支部の体制が整備されておりました。このことは、区の施策である「消費者対策事業」の受け皿組織として、その趣旨と内容を迅速かつ円滑に伝達することを可能にし、25年間の長きにわたって本事業を継続させてきた要因の一つであり、これは特筆されてよいのではないかと思います。
   
食肉組合目黒支部の本事業への対応  
食肉専門店からなる組合では、前述したような昭和50年代前半から顕著になってきた消費傾向をたいへんに苦々しいものと感じておりました。商業者としての誠意をもって取り組むか、否かを問わず商品の高級イメージの確立には多額の宣伝費を必要とします。また、過度な廉価性を打ち出すには大量仕入れが前提となります。いずれも零細な食肉専門店による一業界組合の力だけでは、それに対応することも警句を発することも出来ない手にあまる問題でした。私たちは、食肉に対する厳しい修練を積んで独立創業した者として食肉に関する適切な知識と技術を提供できるプロフェッショナルであるとの自負があります。また、地元に密着してお客様との信頼関係を築き上げてきた商店主として、その信頼を決して裏切れないという責任があります。その自負と責任が、企業力にものをいわせた過当競争の中で打ち砕かれていくことに深刻な危機感を抱いておりました。目黒区産業経済課から「消費者対策事業」への参画の提案をいただいたのは、まさにこのような状況でした。私たちは、行政の支援をきっかけとし自らの組合組織の結束力によって、消費者のために食肉専門店ならではの知識や技術と責任を存分に発揮できる最良の機会と受け止めました。
   
内部調整の難しさ  
とはいえ、実際に事業に参加し組合として共同し入れを行うとなると、諸問題を解決する必要がありました。それは支部内調整で、行うかぎりはできるだけ良い品物を仕入れて消費者に提供したい、これは当然ながら共通した思いです。しかし、どのような肉をもって「良い品物」と判断するかとなると、個々の店主によって意見が分かれます。豚肉には、黒毛和種を最高格とする牛肉のような価値基準なく、脂肪質と赤身との配合割合や、淡紅色と称される微妙な色合いなど店主の経験に基づく独自の判断があります。組織が新規の事業を始める際には、積極派、消極派、反対派など様々に意見が分かれるのは当然です。それらを調整して同一の商品を共同仕入れになるまでの過程は筆舌に尽くし難しでした。当時の目黒支部は、約165店舗の大所帯でした。今振り返って思えば各々店主の独自の価値観や経営判断を超え、この事業の意義を十分に議論し納得した上で実行できた事は、いわば「産みの苦しみ」であったのかもしれません。
   
最良のパートナーとの出逢い  
本事業に当初の行政方針は「産地直送販売」にこだわるものではありませんでした。そのため共同仕入れの取引先選定は、信頼のおける卸業者数社を選択することから始め、交渉で同一体の各部位を一ケースに箱詰方式を条件に入れました。いわゆる「同体セット」納品で、品質の均一性の保持や現在で言うトレーサビリティの観点からも重要な条件でした。当時は小売店の多くが枝肉仕入れから部分肉仕入れに切り換えつつある過渡期でした。しかし、実際に行うのは当時の食肉処理システムからして大変面倒な作業を伴うものでどの卸業者もこの条件に二の足を踏みました。ならば生産地と直接交渉して「産地直送販売」という構想が浮かび、東京近辺の関東・東北の主な生産県と根気よく交渉を重ねましたが私たちの条件を受け入れてはくれませんでした。その中で唯一、本事業の趣旨に賛同され条件を快く了解してくれたのが茨城県の畜連(茨城県畜産農業協同組合連合会)です。           その後、この事業は茨城県経済連(JA全農茨城県本部)に引き継がれています。良い仕事を達成するためには良い出会いが不可欠です。私たちは、共に手を携え汗を流すに足る最良のパートナーとめぐり逢うことができたのです。
   
ローズポークの登場まで  
茨城県は、当時も現在も品質・生産量共にわが国有数の豚肉生産県です。しかし、食肉の品質維持の難しい点は、どんなに生体の飼養管理に気を使っても飼育状態には程度のばらつきが生じると言うことです。生身の家畜を扱う畜産業では、このばらつきを完全に抑えることはできません。特に豚という動物は、そのユーモラスな外見に似合わず飼養環境や季節・天候等の自然環境に大きく影響を受けやすい繊細な体質をもつ家畜で、それがそのまま豚肉の品質にはっきりと反映されます。「前回の品物はとても良かったけど、今回は駄目だよ」このような会話は日常的に生産者や流通業者と小売業者の間で、また小売業者と消費者との間で交わされます。茨城県経済連の担当者と目黒支部との間でも激しいやりとりが交わされました。お互いの信頼が増してきても、否、信頼が深まれば深まるほどより良い食肉を消費者に届けたいという共通の目的に妥協や馴れ合いの入り込む余地はありません。 事業開始から数年を経て朗報が届きました。「茨城県産銘柄豚肉ローズポーク」誕生のニュースです。
   
豚の系統化と銘柄豚  
銘柄豚肉と聴いた時まず思い浮かべるのは「黒豚」です。この「黒豚」表示はバークシャー純粋種の豚肉だけに使用することが法的に定められています。このような純血種にこだわるのは養豚技術の中では例外的です。前述したとおり豚は繊細な体質の動物で、その弱点を補い品質の良い肉を得るためには複数の品種を交配させ、それぞれの特質を引き出し純血種よりも頑健で優秀な豚肉を生産するのが一般的な方法です。やや専門的な話になりますが、交配方式で英国に起源をもつ白色の大ヨークシャー種とデンマーク起源のランドレース種を交配し、得た豚に米国起源で赤褐色のやや小型デュロック種を交配させる「三元交配」が、現在多く採用されている生産方法です。交配に数世代を費やし、それぞれの世代の飼養に気を配り最も優良な個体だけを選別していき最終的に優秀な遺伝系を確立するのが豚の系統化です。ローズポークは、茨城県養豚試験場(現茨城県畜産センター養豚研究所)がこのような手間のかかる努力によって作り出した系統豚であり、県内の厳選された指定養豚農家が専用飼料を与え生産している銘柄豚です。
 
ローズポークの飼養管理と特徴  
ローズポークは、茨城県の県花であるバラにちなむその名称からも生産者の自信と誇りのほどがうかがわれます。その系統豚完成までには、実に七世代八年間にわたる交配と優良個体の選別が繰り返され昭和五十年代の半ばから県内の優れた養豚農家のみを選び飼養を認定してきたものです。飼育方法や飼料については茨城県銘柄豚振興会が厳密に管理しており、品質の維持・向上に最大限の努力と注意が払われています。例えば、豚の飼養期間は180日齢程度とされていますがローズポークは190日齢まで飼育し、幼豚期・成豚期それぞれに指定された飼料を給餌しています。特に120日齢以後から出荷までは、良質な大麦を配合した穀物飼料のみを与え安心・美味な食肉となるための配慮がなされています。肉質としては、キメが細かく締まりの良い赤身と白く粘りのある脂肪質の綺麗なマーブリングがあり、柔らかでジューシーな舌ざわりとすっきりした風味が特徴です。業界大手の新聞社が平成14年2月に開催したコンテスト「銘柄豚肉の好感度テスト」では、審査員となった消費者や業界関係者から圧倒的な支持を受け三種類の黒豚を含む17銘柄の中で最優秀賞を受賞しています。昨年の出荷量は、私達目黒区の共同仕入れや県内などへの約3万頭でした。
 
本事業の現在  
私達目黒の「消費者対策事業」では、ローズポーク商品化後ただちに従来の豚肉産直販売から茨城県産銘柄豚肉ローズポーク販売へと切り替え、事業内容をより一層充実させました。毎年秋に消費者の皆様をJA全農茨城県本部に招いて現地を実際に見学していただきローズポークの枝肉を前に県本部の担当者から丁寧で解かり易く説明をして頂いております。            区報による見学会への参加者申し込みには、定員の数倍に及ぶ応募があり員数を限らせていただいている事に心苦しい思いをしています。また、「めぐろいきいきフェア消費者生活展」などの機会に試食会を開き多くの区民にローズポークのおいしさを味わっていただいております。昨年11月末にJA全農茨城県と共同開発したローズポークを素材としたレトルトカレー「めぐろ限定ポークカレー」発売し朝日新聞等多くのマスコミが好意的に報道して下さったこともあって順調なすべり出しをみせています。目黒区行政・食肉専門店・茨城県そして消費者が4本の柱となり互いに力を合わせて支えてきた本事業は、25年の実績をもとに現在そして今後とも、さらに大きく発展していこうとしています。
 
あとがき  
近年、食の「安全・安心・美味」に対してますます関心が寄せられています。私たちが消費地の目黒と生産地の茨城を結んで実施してきた本事業の25年間の軌跡をあらためて振り返ると、食に関する重要課題と解答を先取りしてきたのではないかと思います。昨今茨城県以外でも、銘柄豚の造成が試みられています。しかし茨城県によるローズポークの開発は早い時期の成功例として、また、開発当初から目黒の食肉専門店が関わることができたということは銘柄豚の普及の一例として、後続する生産者と販売者への良い刺激なったのではないかと自負しております。食肉組合目黒支部が催す産地見学会や区内での試食会には、数多くの親子づれの方々がおいでになります。ローズポークの焼き肉を元気にほおばっておられるお子様や、それを見守るご両親の明るい笑顔を拝見する時、皆様への感謝の気持と嬉しさで胸が一杯になります。「これまで頑張ってきたのは、その笑顔が見たかったからです。そして、これからも」
 
追記  
この事業を始めてから来年で30年になります。先輩達の先見の明と労苦に頭が下るばかりです。担当役員は一か月に2回とはいえ午前3時から各拠点店舗への配送・伝票整理後の集金・支払等々。そうした努力の積み重ねがレトルトカレーになり一昨年から販売を開始した目黒限定ローズポークのロースハムに発展しました。私たちの目的である安心・安全・美味を消費者にお届けするという信念は先輩達から我々へ、我々から後輩達へと継いで行くことになるでしょう。さてその後、食肉組合目黒支部では目黒区と「災害時における非常用食糧の供給協定」を締結し、区内の第一次避難所約40ヵ所に食肉等を供給します。また、今年4月から目黒支部独自のホームページを開設しました。現在「消費者対策事業」はこのような展開になっています。
 
 
平成19年5月
 
食肉組合目黒支部長 小関俊雄
 

 
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